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一学 35【ワタテツの然修録】良い書物は多逢聖因。誤解されてきた陽明学。元祖感想文!ある幕末の復書《元気が出る感想》

《元気が出る感想》
ミワラ〈美童〉と呼ばれる寺学舎の学童たちの感想文〈然修録〉を、2020年1月より週刊で配信しています。

エスノキッズ 心の学問 「教学編」
令和2年9月27日(日)号


一つ、学ぶ。


〔 良い書物は多逢聖因 }

「エンジンキミョーォ〈縁尋機妙〉?

無い無い!
だってさ、誰も歩いてないし。

出会うのは、タヌキか、ウリ坊くらいじゃん!」


これ、この島に疎開してきたもう一人のミワラ〈美童〉が、漏らした言葉。
言わずと知れた少女、ツボネエ。

同じことを感じている後輩は、少女ツボネエだけじゃないだろう。
(それにしても、ツボネエという美童名(みわらな)、どうにかならんかねッ!)

おれは、旅の途中、オレンジ色のネオンに照らされた猥雑(わいざつ)な雑踏の中で、同じような虚しさを感じたことがある。
そのとき尋(たず)ねたのが、書物という〈 人 〉だった。


人物のことを書いているから、書物。
まさに、多逢聖因(たほうしょういん)を、実感した。
多逢聖因とは、良い人物や書物に積極的に交わっていると、良い結果に恵まれるという意味の言の葉だ。

だとすれば、「エンジンキミョーォ?」と、嘆(なげ)くことなかれ!
縁尋機妙とは、良い縁(人物や書物)が、更に良い人物や書物を尋ねて発展してゆく様(さま)が、誠に妙に思われて不思議なものである。
と、いう意味だ。

何の目的もなく、ネットや古本屋で、中古本を眺めていたとしたら、何も目に留まらないに決まっている。
「どこを見ても、大した本は無いなーァ」と思うのが、〈関の山〉だ。

でも、何か本気になって書物を探しはじめると、「大した本が無い」と見積もった古本屋やオンラインショップで、夥しい数の〈本の山〉から、必ず求めている書物が、パッと目に飛び込んでくるものだ。

これもまた、縁尋。
そしてこれも、機妙というもの。

真剣に求めていれば、たとえそれがタヌキやウリ坊や鴨であっても、必ず求めているものを背負(しょ)っているものだ。

ちなみに、タヌキの社会には、共同便所というのがあって、そこに行けば、誰が縄張りから越して行ってしまったかとか、誰かが自分たちの縄張りに越してきたみたいだな!とか、そんな縁尋の種を、嗅(が)ぎ分けることが出来るそうだ。

次にタヌキに出会ったら、そっと後をつけてみるてください。
意外と、いとも簡単に、縁尋の機妙を体験できるかもしれません。


{ 誤解されてきた陽明学 }

誤解には、二種類あると思います。

一つ目。
誤解されやすい人って、いますよね。
誤解されやすい行動、誤解されやすい立ち位置、誤解されやすい言葉足らず、等々。

自分の経験の中でも、「あッ! 今の、危なかったな」って、ヒヤッとする場面を、何度も体験しました。

二つ目。
これには、良性と悪質の、二種類があります。

良性の方は、余弊。

何かで有名になったり、何かでみんなに褒め称えられたりすると、周りのやっかみから、根も葉もない風評に遭うといった弊害が、必ずと言っていいほど生じるものです。

「痛いけど、不治の病ではない」という意味で、良性という言葉を使いました。
誤解しないでくださいね (^_^;)

次に、悪性。

これは、プロパガンダ(対峙する思想団体による広告宣伝攻撃)による誤解の捏造の流布。
と、およびその洗脳です。


解(わか)り易(やす)い例を一つ、紹介します。

三島由紀夫が自刃(じじん)事件を起こした原因は、『葉隠(はがくれ)』という武士道の書物と、王陽明が説いた儒学、陽明学だという根も葉もない風評。

これは、この二者の本質を根底から覆(くつがえ)して、三島事件の原因として単純明快な理論を捏造し、それを流布宣伝したものです。

「武士の価値は、死ぬこと」?

それが本当なら、歴史に武士なんて、存在しません。

「動機と純真を重んじて結果の如何を問わない陽明学の影響の一例である」?

結果の如何を問わない学問が、どこにありますか。
もし学問ではないとしたら、なぜ、半世紀以上もの長い間、多くの国々が、治安と人間力向上のために、陽明学を学んできたんですかァ!

極端な例から説明してしまったので、ここで少し、陽明学の人間力に関わる誤解の話をします。

人間を鍛える、心を鍛える、即(すなわ)ち活学、求めるは、人間力。

これは、国家と名がつく国体の中にある民ならば、みなが希求している正学だと思います。

時局が混沌としてくると尚更、人心とは妙なもので、何か霊的なものに覆われ、潜在意識では自覚し得ない、何か真実と言えるようなものを求める、何か、真剣なものを求めるようになってゆく......。

これが、〈良知〉です。
これを致(いた)すから、〈致知〉なのです。
これを完成し、発揮することを、陽明学では、〈致良知〉といいます。

今、致知出版社という名前が、頭に浮かびました。
多逢聖因、縁尋機妙な書物を、世に送り出し続けているこの奇特な出版社。
その社名の由来は、この陽明学の〈致知〉から起こっている。
と、これも、多逢聖因の一つの書物が、教えてくれた。

この程度のことを知っている大人は、五万といるだろう。
でも、おれたちは、その五万の大人の大半を、タケラ〈武童〉とは呼ばない。

なぜなら、たかだか数冊の関連本を斜め読みするか、それが仮に、優れた直観力の修練の賜物(たまもの)のフォトリーディングだったとしても、それだけで、さも百も承知といった顔つきと言いっぷりで、如何にも自分を大きく見せようとする学卒者たちを、旅の途中で、如何に、何と数多く、見て来ざるを得なかったことだろうか。

それに対して、そんな危うい観念を遊戯するのではなく、真剣に実践、行動することを、陽明学では、〈知行合一(ちこうごういつ)〉と言う。

さて、強く心に感じて、激烈な想いが湧き上がってくることを、〈感想〉と言っていますよね?

本の内容を書き写して、そのあとに、「ぼくも、そう思います」と書くことを、〈読書感想文〉と、呼んでいるそうです。
この呼び名、変えませんかァ?

引用とコメント......。
略して、『インコメ』!


〔 元祖感想文!ある幕末の復書 〕

王先生の学、陽明学でいう〈格物致知〉。
日本でも、エピソードがあります。

幕末前後に生きた儒学者、特に陽明学に明るかった山田方谷(ほうこく)のもとに、春日潜庵(せんあん)という地下人(じげにん)(朝廷に使える一般官僚)より、『致良知論』と題する書が届く。

これに対する復書が、こちら。

「足下(そっか)の言は、致良知に専(もっぱ)らにして、格物(かくぶつ)に及ばす」

以上、これだけ。

これぞまさに、〈読書感想文〉と呼ぶべきものではないでしょうかッ!
とは言え、短すぎるので、少々解説を加えたいと思います。

山田方谷の心に湧いた感想は、(こんな感じだったんじゃないかなァ?)と、書物が、こんなふうに語っています。


「王先生の学は、誠意を主たるものとしています。

致良知というのは、その誠意の中に同梱されている二つの重要部材のうち、その一つに過ぎない。

片や、
そのもう一つの何某(なにがし)かの重要部材が、誠意の隅々に配されないことには、この致良知という部材は、機能することが出来ない。

そうかといって、
この致良知が機能しなければ、誠意という箱の中を、観ることはできない。


でもね。

仮に、箱の中を、どうにかして観れたとします。
だからと言って、それが、何になるでしょう。
誠意の本来の目的は、工夫です。
それを為すのは、格物です。

二者併進。

「王先生の陽明学を唱える中流官僚の輩(やから)のほとんどは、大抵、この度の君らのように、一にも二にも、〈致良知〉のみを、称(とな)えておる。

これ、まさに、お粗末くん!

格物の功を学び知らず、二者併進から格物を廃していることは、実に、遺憾なり」

......と。


2020年9月26日(土) 活きた朝 02:02
門人、ワタテツ


令和2年9月27日(日)号
一学 35【ワタテツの然修録】良い書物は多逢聖因。誤解されてきた陽明学。元祖感想文!ある幕末の復書《元気が出る感想》

◎ 然修録の発祥について

然修録は、寺学舎に通っていた一部の学童たちが、講釈を書き留めていた学習帳です。
寺学舎というのは、瀬戸内でかつて古(いにしえ)の時代に栄えた港町にあった寺塾です。
一部の学童たちはみな、その港町に隣接する寂(さび)れた浦々に住んでいました。
そこは、「平家の敗残兵が密かに身を隠して、今に到っている」と、伝えられている地です。
『平家物語』巻第十一では、彼らの祖先を率いた名将の武勇が、描かれています。
この浦々から谷川沿いに峠を上り尾根を越えると、その先に、原っぱが拡がるような町が現れます。
その地が、彼らの先祖が最期を飾った古戦場です。
この学習帳は、後に読書感想文に形を変えながらも、然修録の名を、今に残しています。
学童たちは、然修録を書き始めた大先輩たちの心情を、慮(おもんばか)らずにはいられなかったのでしょう。

◎ 然修録の現在について

かつて栄えた港町にあった寺学舎は、今はもう存在しません。
寺学舎と呼ばれていた講堂の佇まいは変わっていませんが、そこに集う学童たちの姿はありません。
隣接する寂れた浦々では、子どもたちの姿を見ることさえ稀になってしまいました。
でも、その浦々の隠れたところで、寺学舎という名の家塾が、存続していたのです。
2020年1月、その家塾に集ていた学童たちの然修録を、メルマガという手段で公開しました。
その8月、彼らは天災とも人災ともつかない災難によって、離島へと疎開して行きます。
学友たちと住まいを隔て、島を隔てて独学を余儀なくされた彼ら、学童たち。
貧しい彼らですが、メルマガやブログといった少々古臭いテレスタディで、今も学んでいます。
仲間たちは、この然修録を「元気が出る感想文」と呼び、後裔記を「元気が出る日記」と呼んでいます。

◎ その後裔記とは

このメルマガの姉妹編「元気が出る日記」の本文で、簡単ですが、上記のような説明書きを載せています。
ブログ(バックナンバー)でも、同様の説明書きを読むことができます。

◎ 寂れた浦の学童たちの用語集

〈1〉少年/少女 → 学徒 → 門人 → 学人
 寺学舎の学年の呼び方です。

〈2〉ミワラ〈美童〉
 立命期の学童たちの呼称です。
 学人となったのち、知命するまでが立命期です。
 「生まれもった美質を護ってほしい」
 という願いが、込められています。

〈3〉美童名(みわらな)
 産れてから知命するまでの名前です。
 武家社会の幼名のようなものです。

〈4〉息直術(そくちすい)
 行動の学と呼ばれ、後裔記は、その行動の足跡です。

〈5〉恒循経(こうじゅんきょう)
 目的の学と呼ばれ、然修録は、その目的の道標です。

〈6〉タケラ〈武童〉
 運命期の学童たちの呼称です。
 知命したのち、天命に到るまでが運命期です。

◎ メルマガ姉妹編のご案内
《元気が出る日記》
ミワラ〈美童〉と呼ばれる寺学舎の学童たちの日記〈後裔記〉を、2020年1月より週刊で配信しています。
https://www.mag2.com/m/0001131415.html

◎ バックナンバーのご案内
http://www.akinan.net

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