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一学 30【昨夜配信の後裔記。自反の結果は然修録に譲ると書いた手前。「人を教えるには、小学を以てする」】門人、ワタテツ

みなさん、おはようございます。
【然修録】です。
毎週日曜の朝7時。
今朝も、お届けいたします。
「行動と目的の学」を実践する子どもたちの学習帳。
読み切りで ♪

エスノキッズ 心の学問 「教学編」
令和2年8月23日(日)号


一つ、学ぶ。

以下、昨夜配信《 一息33 》より譲られた自反(素直な反省)の委細です。


〈人を教える〉ということ。

何が大事か、どちらが先か、根底に何を持っているか!


〈小学〉と〈大学〉という言葉があり、同じ字の書名があり、同じ字の学校がありますね。

教えるほうも、学ぶほうも、その根底が空っぽでは、世間体(せけんてい)が悪い。
なので、見栄えのする〈大学〉で、根底を飾って魅(み)せようとしていないか。

学歴も然(しか)り。

〈小学〉校で何を学んだかよりも、〈大学〉で何を学んだかのほうを問われてることのほうが、多くはないか。

中国の古典を読むにしても、今日(こんにち)においては『大学』のほうがよく読まれ、『小学』という書があることすら知らない人が多いのではないか。


さてさてところが、その昔......。

明治の時代までは、『大学』は読まなくても、『小学』は必ず読んでいたのだそうです。

おれの講釈は、〈小学〉を教えず、〈大学〉ばかりを教えようとしていたのではないか。

古(いにしえ)より、「小乗がわからなければ、大乗はわからない」と言われます。

同様に、

小学を会得せずして、どうして大学云々(うんぬん)と小難しいことを理解できようか!
小学を体得せずして、どうして大学云々と大それたことを教示できようか!

ですです。


古代より中国では、役人になるための厳しい進級試験制度がありました。
こんな話を、聴いたことがあります。

明代の碩学(せきがく)(広く深く学問を修めた人)に、その難関の進級試験に及第した若きエリートが訪ねてきて、「次は何を学べばよいか」と、教示を乞いました。

すると碩学の先生は、「なんといっても、小学をやることでしょうね」と、答えたそうです。
これに、若きエリートは、大憤慨!
東大を卒業して国家公務員の上級に合格した超エリートに、「小学校からやり直せ!」と言っているようなものだからです。

それでもまァ、その超秀才くん。
家に帰って頭を冷やし、ちょっと『小学』なる書を手に取って、捲(めく)ってみたそうです。

それから暫く経って、その若きエリートが再び、碩学の先生を訪ねました。
すると、挨拶もせぬうちから先生が、「だいぶん、小学を勉強しましたね♪」と、言ったそうです。
若き秀才くんは驚いて、「なぜわかったのか!」と訊(き)き返したところ、「いやね、言語や応対の間に、あなたの自らが現れておるのですよ」といった意味のことを、先生から言われたのだそうです。

学問や知識などというものは、論理や概念の暗記に止(とど)まっているうちは、駄目だということです。
血とし、肉とし、身につけること。
これこそが会得(えとく)と体現......所謂(いわゆる)体得、embody(具現化する), incarnate(具体化する)というもの。

まさに、謦咳(けいがい)に接するを得た結果です。

そのしわぶき(咳(せき)ばらい)一つにも、人の性質が現れるというものなのかもしれません。

〈小学〉然り。

目や耳で受け取るのみではなく、肉体全体で受け止め、心に容れる。


この〈小学〉......。

日本では、言わずもがな少年少女が通う初等の学校のことで、その昔、宮城の地に置かれた国立の〈小学〉の学校が、小学校の第一号とされているそうです。

その後、中国の漢代では、様々な知識や学問の基礎部分である国語(文字や文章)を学ぶことを、小学と呼んだそうです。

そののち仏教においても、小乗と同様に、日常的な実践や行動を学とすることを、小学と呼んだそうです。


小学校での学問をおろそかににして一流大学を卒業した高学歴のキャリア(例えば高級官僚様)たちは、ひょっとすると、「論語読みの論語知らず(言葉の意味を理解するだけで、実践に活かそうとしないこと)」なのかもしれません。

昨今、今日、時代はまさに、「小学読みの小学知らず」ですがッ!

元(もと)い、「小学知らずの小学読まず」かな? (^_^;)


令和2年8月23日(日)号
一学 30【昨夜配信の後裔記。自反の結果は然修録に譲ると書いた手前。「人を教えるには、小学を以てする」】門人、ワタテツ

【行動と目的の学】

江戸期の儒学者たちは、学問を一つの型にして、学校や家庭に根付かせました。その型が崩壊した現代、廃残したわたしたち民族には、新たなる型が求められています。

美質を生まれ持った子どもたちは、戈(ほこ)を止(とど)めると書く武の心を修めるために、東亜の行動哲学、西洋の目的心理学、民族史と神話、未来と過去の脚本技術などを学んでゆきます。

Japanize Destinies Distribution
『亜種記』『息恒循』『然修録』『後裔記』
JDD 東亜学纂
http://www.akinan.net