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一息 38【スピアの後裔記】誰も知らないぼくの考察。男を語る養祖父と、宇宙人!の娘の養母《元気が出る日記》

《元気が出る日記》
ミワラ〈美童〉と呼ばれる寺学舎の学童たちの日記〈後裔記〉を、2020年1月より週刊で配信しています。

エスノキッズ 心の学問「自伝編」
令和2年9月26日(土)号


一つ、息をつく。


〔 誰も知らないぼくの考察 〕

養祖父は、この国の復興期を生きた。
養母は、この国の成長期で育った。
そしてこの島に疎開させられたぼくは、没落期に生き残ろうとしている。

この三人、その人生に、どんな違いがあるというのだろう。
互いに生き、同じ屋根の下に暮らすこととなり、平和という幻想の陶酔から叩き起こされ、迫りくる人類の掟に脅(おびや)かされ、その百年ごとに訪れる自明の理に戸惑う日常。

ぼくが引きこもった時期は、同じく養母が少女時代にそうなった時より、三年も早かったみたいだ。
養母は、彼女の時代で言うところの小学校の五年生のころ、不登校になったと言う。
小学校というのは、学園の一年目から数えて六年間のこと。
それは、子等(こら)の家から近いところにあり、もし遠い家があったら、その近くに分校というものがあったそうだ。

もしぼくが、その時代の子どもだったとしたら......。

「近いところに学校があるんだから、ひょっとしたら、ずっと学校に通っていたかもしれない?」

その問いに対する答えは、「NO」だ。

ちなみに、残りの三年間はというと、別の場所に、別の呼び名の学校が設けられていたんだって。
その学校と、最初の六年間の学校とは、ほとんど交流が無かったらしい。

そんな養母の発案で、ぼくは、家庭内登校をすることになった。
登校とは言っても、実際には、階段を下りてゆくだけだ。

ここは、三棟が棟続きになった木造二階建て。
そのうちの一棟を、養祖父と養母の父子が、借りているらしい。

他の二棟に人気(ひとけ)はなく、ぼくらの棟は、北東側にあるいちばん端っこで、日当たりが悪く、一階は昼間でも薄暗い。
その薄暗い一階に、ぼくは毎朝、二階から降りて行き、そこで登校が完結する。

と、言うわけだ......と言うか、と、言うわけらしい。

養母は、ぼくに、いつまでたっても、引きこもりの理由を訊(き)こうとはしなかった。
養母にしてみても、自分が不登校になった理由など、取り立てて何も無かったんじゃないかと思う。
仮に何か理由はあったにしても、覚えていないか、だとしても、思い出す必要は、何もない。
だから、ぼくがなんで引きこもったかについて、問い質(ただ)す必要もないし、実際、興味もない。

と、そんなところなんだろうと思う。

「この三人、その人生に、どんな違いがあるか」の問いの答えが、見えてくる。
「......違い」は、見当たらない。

逆に、共通点はある。
よく晴れた日の釣りが好き。
釣果(ちょうか)は、まったく気にしない。

以上。


〔 男を語る養祖父と、宇宙人!の娘の養母 〕

階下から階段を上って下校して暫くすると、父子の声が聞こえてきた。

「何を考えてんだか。
お父さん!
朝からずっと黙りこくって。
まったく。
一日中、何を考えてんだかッ!」
と、娘。

「自分がどうなれば、もう死んでも良いと思えるのか。
早く答えを出したいのに、なかなか答えが出ん」
と、父。

「呆れた!」と、娘。

「好きにしろ!」と、父。

「晩ごはん、食べるんでしょ?
それとも、答えが出ない?
好きにしていいから」
と、娘。

「食う」と、父。

「あ、そッ!」と、娘。

養母は、養祖父の言うことの半分も解(わか)らないといったふうだけど、(それは、当然だろう)って思う。
でも、ぼくらは、(その半分くらいは解らないと、男を名乗るべきじゃない)とも、何気に思うことがある。

二階には、六畳の和室が二間(ふたま)ある。
ぼくが養母から与えられた一人暮らし用の〈家〉は、その南東側にある一部屋だ。
もう一つの六畳は、養母が一人暮らしをしている。

一階も、和室が二間だ。
南東側の八畳の間で、養祖父が一人暮らしをしている。
もう一つの六畳の間が、ぼくの学校兼、居間だ。
その中央には、丸い座卓がポツンと置かれている。
それが、座学用のぼくの机であり、食卓にもなる。
その上に置かれているテレビのリモコンは、養母専用。
養祖父とぼくは、「テレビには興味がない」というより、「チャンネルを選択する権利を与えられていない」という説明の方が、正しいと思う。

養祖父の晩酌が、はじまった。
養母も、それに付き合っている様子。
ちなみに、二人とも、見た目は若い。
実際の年齢は、知らないけど。

「わしの考えが変かどうか、判断を下すのは......」
と、父。

「誰よッ!」
と、娘。

「わしが何を語ろうと、わしが本当は何を思って、何を考えて、何をしようとしているかなんぞ、誰にも判(わか)るはずがないだろッ!」
と、父。

「だからァ?」と、娘。

ちなみに、この「だからァ?」は、養母の口癖だ。

この「だからァ?」が聞こえてくると、ぼくの膜脳(まくのう)の超意識に直感が芽生え、その直感が、層脳(そうのう)の潜在意識が大事に保管している障害物を押し退(の)け、塊脳(かいのう)の顕在意識に黄色が点滅するシグナルを送ってくる。

早いとこ晩飯(ばんめし)というか、夕飯を済ませて二階に逃げ込まないと、予期不可能な人災(〈とばっちり〉という名の養母の不機嫌、または養祖父の小難しい講釈、或(ある)いは、その両方)を、蒙(こうむ)ることになる。

ぼくは、階下の食卓を目指した。
抜き足、差し足、総じて、忍び足。
そっと、食卓の前に腰を下ろし、胡坐(あぐら)をかく。

次に注意することは、食卓にどんな想定外の食べ物が運ばれてきても、決して奇声を発してはならないということ。
これには、さすがの宇宙人(養母の父)も心得ていると見えて、「あァー」も「すゥー」も発せず、ぐーの音(ね)も出てこない。

その次に注意することは、養祖父が講釈を始めても、食べる手を止めてはならないということ。
誰も、「早く食べろ!」とは、言わない。
食べ終わって立ち上がるまで、二人とも、延々と喋り続ける。

その補足として注意することが、もう一つ。

手を止めないようにしても、自分が喋っている間は、食べる手を止めざるを得ない。
聴く → 短く問う → 聴く → 短く問う → 聴く......の連続性を如何(いか)に保つかが、平和を護り抜けるか廃残するかの分かれ目の鍵となる。
風任せ、波任せにしていると、知らず知らず激流に流され、被災、撃沈する。

いざ、出陣!
座ってるけど (^_^;)

第一手、養祖父。
聴く。

「貧の生き方というものがある。
貧乏なら貧乏で、情を尽くす道はある。
濃い口の情で、人間味のある世話を人に与える。
それが、貧の道だ」

ぼく。
短く問う。

「なんでそんなこと(......もくもぐ)、しなきゃならないの?」

聴く。

「意欲をもって生きなければ、死んだ後(あと)に、生きていたことを忘れてしまうじゃないか。
意欲のない一日は、たとえ昨日(きのう)のことでも、すっかり忘れてしまっている。
それは、つまらん大人(おとな)がやることだ」

短く問う。

「つまる大人って、どうすればなれるの?」

聴く。

「信念と思考と愛情と性交を合わせ持ったとき、子供(こども)(=子共(こども)の単数形)は、大人になる。

「お父さん!」BY 養母。

短く問う。

「カアネエ(お姉さんと呼べと言う養母)も、合わせ持ったの? 四つぜんぶ」

聴く。

「ほらァ! 変なこと教えないでねって、今朝も言ったばっかじゃん。
(乳牛よろしく、)モーォッ♪!」

無言のシンジイ(新種の爺さんこと、養祖父)。

短く問う。

「ねぇ。
なんで大人って、働くの?」

聴く。

「食べるために決まってるっしょ!」
と、カアネエ。

「食べてどうする!
食べることは、生きる手段の一つに過ぎん。

人は、修練と養生を繰り返して、その生涯を家国(かこく)に尽くす。
人が生まれてくるのは、そのためだ。
ゆえに大人は、就労せねばならん。

就労するためには、信念と識見を磨き、才能を養わねばならん。
そのためには、心掛けを練らねばならんが、それは、大人になってからでは、もう遅い。

だから人間は、大人になる前に、ミワラ〈美童〉という人生で最も重要な時代を、生き抜かねばならんのだ」
と、シンジイ。

ここでやっと、箸(はし)を置くボク。

〔誰も知らないぼくの考察〕は、秒殺で過去に送られてしまう。

ちなみに、その〈過去〉に送られた、ぼくの最新の考察は......。

シンジイの講釈を聞き流しながら、カアネエが考えていること。

(流しの洗い物は、今晩やっつけとかなきゃね。
洗濯は、明日の朝?
ムリムリ♪
やっぱり、週末の大仕事になっちゃうかーァ!)

だ。

災難は、いつも、油断とセットでやってくる。

箸を置くのと立ち上がるのがほぼ同時で動きはじめたシンジイが、何を思ったか思い直したか、再びケツを畳の上にドカンと落として、座り直して言った。

聴く。

「なあ、スピア。

日(ひ)の本(もと)に学問を目指すための学び舎(や)が無いのなら、いっそ、海外を放浪してみてはどうだ。
海外を見聞することは、素晴らしい。

但し、海外を観たら、それと同じ量の日の本を、探訪せねばならん。
そうすれば、日の本の素晴らしさが解(わか)る。
祖国の素晴らしさが解れば、外国の本当の素晴らしさも、本当の恐ろしさも、見えてくる。

思いを育てて、考えを温(あたた)めたら、いざッ!
行動だ。
人生は、命懸けだからな」

「大袈裟(おおげさ)!」
と、カアネエ。

一刀両断。
しかも、袈裟斬(けさぎ)り!


カアネエは、ドカドカと台所に撤退。

ぼくは、忍び足で二階の我が家に撤退。

〈座したシンジイ〉は、過去に送られた。


2020年9月25(金) 活きた朝 3:07
少年、スピア


令和2年9月26日(土)号
一息 38【スピアの後裔記】誰も知らないぼくの考察。男を語る養祖父と、宇宙人!の娘の養母《元気が出る日記》

◎ 後裔記の発祥について

後裔記は、寺学舎に通っていた一部の学童たちが、日常を書き留めていた日記です。
寺学舎というのは、瀬戸内でかつて古(いにしえ)の時代に栄えた港町にあった寺塾です。
一部の学童たちはみな、その港町に隣接する寂(さび)れた浦々に住んでいました。
そこは、「平家の敗残兵が密かに身を隠して、今に到っている」と、伝えられている地です。
『平家物語』巻第十一では、彼らの祖先を率いた名将の武勇が、描かれています。
この浦々から谷川沿いに峠を上り尾根を越えると、その先に、原っぱが拡がるような町が現れます。
その地が、彼らの先祖が最期を飾った古戦場です。
この日記は、周りから「末裔記だろッ!」と揶揄されながらも、『後裔記』の名を、今に残しています。
学童たちは、後裔記を書き始めた大先輩たちの心情を、慮(おもんばか)らずにはいられなかったのでしょう。

◎ 後裔記の現在について

かつて栄えた港町にあった寺学舎は、今はもう存在しません。
寺学舎と呼ばれていた講堂の佇まいは変わっていませんが、そこに集う学童たちの姿はありません。
隣接する寂れた浦々では、子どもたちの姿を見ることさえ、稀になってしまいました。
でも、その浦々の隠れたところで、寺学舎という名の家塾が、存続していたのです。
2020年1月、その家塾に集ていた学童たちの後裔記を、メルマガという手段で公開しました。
その8月、彼らは天災とも人災ともつかない災難によって、離島へと疎開して行きます。
学友たちと住まいを隔て、島を隔てて独学を余儀なくされた彼ら、学童たち。
貧しい彼らですが、メルマガやブログといった少々古臭いテレスタディで、今も学んでいます。
仲間たちは、この後裔記を「元気が出る日記」と呼び、然修録を「元気が出る感想文」と呼んでいます。

◎ その然修録とは

このメルマガの姉妹編「元気が出る感想文」の本文で、簡単ですが、上記のような説明書きを載せています。
ブログ(バックナンバー)でも、同様の説明書きを読むことができます。

◎ 寂れた浦の学童たちの用語集

〈1〉少年/少女 → 学徒 → 門人 → 学人
 寺学舎の学年の呼び方です。

〈2〉ミワラ〈美童〉
 立命期の学童たちの呼称です。
 学人となったのち、知命するまでが立命期です。
 「生まれもった美質を護ってほしい」
 という願いが、込められています。

〈3〉美童名(みわらな)
 産れてから知命するまでの名前です。
 武家社会の幼名のようなものです。

〈4〉息直術(そくちすい)
 行動の学と呼ばれ、後裔記は、その行動の足跡です。

〈5〉恒循経(こうじゅんきょう)
 目的の学と呼ばれ、然修録は、その目的の道標です。

〈6〉タケラ〈武童〉
 運命期の学童たちの呼称です。
 知命したのち、天命に到るまでが運命期です。

◎ メルマガ姉妹編のご案内
《元気が出る感想文》
ミワラ〈美童〉と呼ばれる寺学舎の学童たちの感想文〈然修録〉を、2020年1月より週刊で配信しています。
https://www.mag2.com/m/0001675353.html

◎ バックナンバーのご案内
http://www.akinan.net

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