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一息 24【一生のうちで、父親が息子を叱る回数の上限は3回。そんな事より、楽天と楽観の違いを早く知れ!】学人、ムロー

エスノキッズ 心の学問「自伝編」
令和2年6月20日(土)号。


一つ、息(いきを)つく。

母の徳。
女の七賢。
女の五徳。
気の利いた糠(ぬか)味噌女房。
心根を変えず、いつまでも美しい表装を保つ女房と畳......。

家庭の中の徳は、すべて女房、母親によって教授されているかのようだ。

どんなに父親、良人(おっと)が頑張ったところで、この母親や女房の徳には敵わない。

その足下(そっか)に到ることも、及ぶことも叶わないということだ。

心の高理(高い次元の倫理)が虚無になりつつある現代、何を言っても批判、非難、中傷で終始される。

そうと判ったうえで、敢えておれは、変わらぬことを言い続ける。

己の学問を、信じる。

父親は、仕事に打ち込み、我が子に対しては、ただただ、その背中を見せるのみ。

我が子を叱ることも、一切無し。

どうしても叱りたければ、その上限は、3回。

幼年期、知命に導く助言
少年期、世のため人のための天命を解く
青年期、運命を歩むための勇気を授ける

これ以上は、言わないことにしよう。
どう批判、何と非難されようとも、おれは、そう学んだ。
ただ、それだけのことだ。

おれの父親という男も、同じことを学んで実践するタイプのヒト種だったようだ。

息子を、一度叱った。

言わずもがな、おれはまだ、青年には達していない。
なるほど、指南書どおり。
どうしても伝えたくて、上限3回のうち、1回目を実行した。
それは、幼年期の1回だった。

ならば、少年期の現在、来るべき青年期、あと二度、叱られる恐れはある。

できれば、勘弁してほしい。
過去の1回を思い起こすに、その時のおやじという男の顔は、お世辞にも穏やかとは言えなかった。


《 その男のその顔、1回目 》

そのときのおれは、

(この先の人生、いいことなんて何も無い。
あるはずか無い!)

という思いが心を支配し、まったく子どもらしくない、陰気な幼年期を生きていた。

そこで親父は、拠ん所ない葛藤に襲われたのだろう。

車道の真ん中で踊るおれの姿を見つけるや、おれの片手をギュッと掴んで、おれはそのまま、近所の児童公園まで引っ張られて行った。

こじんまりとした広場の真ん中へんに、小さな築山(つきやま)がある。

その頂きには、さらに小さな祠(ほこら)が建っていた。

二段しかないその祠の踏み段に、親父は所在無げに、体を縮めて腰かけた。

おれは、その前に突っ立っている。

親父が、言った。

「どうやらおまえは、物事を難しく考えて、これからの己の人生を、自分で困難にしてしまうタイプのヒト種のようだ。

それが、悪いとは思わない。

なぜなら、それがおまえの希望、願望、満ち足りた現実だからだ。

おまえは今、悲観と楽天の間を、行ったり来たりしている。

確かに、悲観よりは、楽天のほうがマシだろう。

何ををやっても無駄だと自分に言い聞かせ、行動を起こさない。
稀に行動を起こしたとしても、些細な問題を作り出して、それ見た事かと、行動を起こした自分を蔑む。
それが、何をやっても続かない、何をやっても直ぐに諦めてしまう原因、悲観のメカニズムだ。

それよりは、楽天の心のメカニズムほうが、まだ救える。
悲観よりは、何事も、長続きする。
問題が起きても、人間関係でうまくいかなくても、問題から逃げて、嫌な人間を避けて、無関心になることによって、現状を維持しようとする。

ここで、考えなければならない。
なぜ楽観のメカニズムは、直ぐに逃げたり避けたりして、無関心な自分であり続けようとするのか。

それは、楽天も悲観も、心の根の部分が同じだからだ。


『何をやっても無駄だ。
自分は、不幸な環境に生まれ出た。
自分は、その不幸な環境で生きてゆかなくてはならない。
自分は、そういう運命なのだ』

常にそう思って、常にそれを自分に言い聞かせることを、常に心掛けている。

なるほど、確かに、おまえの思いや考えは、正しい。

何故なら、物事を悲観的に受け止め、或いは楽観的に捉えておれば、おまえの希望どおり、不幸な人生を送ることができるからだ。

だがな。

世の中には、幸せになりたいと思う、人間と呼ばれたヒト種も、廃残しているのだ。

幸せになるためには、勇気が要る。
それが、楽観という心のメカニズムだ。

何か問題が起きそうになると、些細なうちに、自分でなんとかしようとする。
嫌な対人関係があっても、そこで双方に誤解が生じないうちに、自分でなんとか、よい関係に変えようとする。

『自分が何とかすれば、解決できない問題などない。
それをやるのは、今だ!』

そう考えて、常に行動を起こし、何事も何とかする。
常に幸せであろうとし、常にそうある。
それが、楽観の受け止め方、捉え方だ。

勇気とは、是(かく)の如く。

幸せになりたいか、不幸になりたいか。

天命に順(したが)って、世のため人のために生きるか。
或いは、
その天命を変えて、ヒト種絶滅のために生きるか。

それは、おまえが決めればいいことだ。
それが、知命への第一歩だ」


親父は、立命の旅を繰り返している。
おれは、一度目の立命の旅を終えた。
おれも、それを繰り返すことだろう。

お互いが旅を続ける限り、
もう二度と、
親父と出会うことはないのかもしれない。


令和2年6月20日(土)号
一息 24【一生のうちで、父親が息子を叱る回数の上限は3回。そんな事より、楽天と楽観の違いを早く知れ!】学人、ムロー


日本は、海洋の中の一国一文明一民族。
引きこもりの伝統戦術を受け継ぎ、独立を護ってきた。

日本人は、アマテラスとスサノオの姉弟を開祖として、外にあっては行動を学とし、郷里に引きこもっては目的を学とし、民族の尊厳を守ってきた。

その悠久の苦心を一つの型にし、国民に学問の門戸を開いたのが、江戸期の儒学者たち。

近代、それを土台に西洋化。
現代、その土台が崩落。

そして今、崩落した土台を復元しようとする少年少女たちがいいる。

二度目の人生幼児期のぼくも、その一人です。